無題 投稿者:森下 投稿日:2008/11/15(Sat) 01:27 No.203
政府が金をくれるとかくれないとかニュースで毎日やってるけど、僕はそのたびに信長の野望の「施し」を思い出す。領地の農民に金や米をくれてやると、「民忠誠度」という数値が割合容易にMAXになるというアレだ。子供心にも何とも安直な凄いゲームだなと思ったものだが、今になってまさかそれをリアルに体験することになろうとは。
そんな日本社会の知性の劣化を思わせる政策が論議されてる中、テレビ報道の良心とも老害とも言われてきた筑紫哲也が死んでしまった。テレビをつけたらその追悼番組をTBSがやってるのを見た。スタジオのセットとか番組のテイストとかのいかにも感が何だかダサいなあと思ってたんだけど、筑紫さんという人間の力のなせるわざか、つい最後まで見てしまった。
報道っていうのはいいのか悪いのかわからないこととか、誰が悪いのかわからないこと、というのにしばしば足を踏み入れる。なので場合によっては報道内容が視聴者や読者から快く受け入れられない場合もあるわけで、こういうのをカタカナでタブーと言う。この厄介ごとと付き合うためには、テレビ報道の場合、責任者が堂々としていれば比較的うまく付き合える。そういう意味では筑紫哲也の存在は大きいと思う。彼が堂々としていれば、視聴者がケシカランと目くじらを立てそうな挑戦的な報道も(実際出来てたかどうかは別にして)可能だからだ。
そういう存在はなかなか得がたい。なので報道は事なかれに走って、世の風潮に丸々乗っかったり、安直な善意を振り回したり、あんまり突っ込んだこと言わなかったりする。それじゃ駄目だ、と気付いてる現場の人もいるんだろうが、堂々とした顔がいないので、「実際問題やりたくても無理よなあ」と赤提灯の酒とともに、制作者の不満も流されてしまってるのだろう。
で、その追悼番組で、タモガミ論文の問題について田原総一郎が「あんなもんクーデーターと一緒だ」と声高に非難していて、なかなか上手いこというなあと思った。 クーデターは大げさに聞こえるとしても、軍人が“国を憂える”とロクなことはない。岡本喜八の「日本のいちばん長い日」を見ればわかる。一般人が憂国の士を気取ればせいぜい選挙に泡沫候補として出るくらいで済むが、軍人がこれを言い出すと人を殺しだす。あの映画の狂った陸軍士官を演じているのが黒沢年男だと気付く人が一体今何人いるだろう。単に若いころの映画だから、というだけではないと思う。
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